2018.04.24

K-1GYM EBISU FREE HAWK 代表 明戸仁志です。

今回のコラムでは自分の自己紹介も兼ねて、何故自分が“逆境ソルジャー”と言われているのかと、恵比寿ジムのチーム名を何故「FREE HAWK」にしたのかを書きます。

私はともとも宮城県多賀城市の駐屯地で自衛官として勤務していました。その時に仙台のムエタイジム・ドラゴンジムに入会しました。

当時のジムのホームページを見るとユニークなリングネームの選手が多く「リポビタンD選手」「ダイナマイトロー選手」等々、、、そんなドラゴンジムに入会し、ムエタイを習って、アマチュア大会や自主興行に出場して格闘家として経験を積んでいきました。本名で。

そんなある日、ジムの会長に「次の対戦相手は消防士だよ、自衛官VS消防士で面白いね。リングネームどうする?」と言われ、私は「本名で行きます」と答えたのですが、後日またジムに行くと会長から「リングネームどうする?」と聞かれ、「本名でお願いします」と答える…こんなやり取りをジムに行くたびに繰り返していました。

それから数日後、会長は一枚の紙を私に見せてきました。そこには…

・ソルジャー明戸
・そるじゃー明戸
・ソルジャーアケト
・ソルジャーあけと

と書かれていました。そして会長は一言、「どれがいい? 俺はソルジャー明戸だと思うんだよね」。

私は心の中で「どれも一緒じゃん!」と思いつつ、やはりここでも「本名でお願いします」と答えました。そして試合当日、試合パンフレットを見ると、「第5試合 ソルジャー明戸VSレスキュー谷藤」の文字が…。これを発見した時、私の闘争本能が一気に急上昇したことを覚えています。

それ以来、私はジムで“ソルジャー”と呼ばれるようになりました。

そんな私は自衛隊を辞め、タイに半年間のムエタイ修行に行き、帰国後は仙台ドラゴンジムでトレーナーをしていました。子供たちにもソルジャーコーチ、ソルジャー先生と呼ばれるようになり、新規入会の会員さんにもソルジャーと呼ばれるようになりました。

もはや何も違和感はなかったです。

それから私はKrushで試合をするようになり、東京のジムに移籍してからは本名の“明戸仁志”として試合を続けていました。そして2016年、K-1の日本代表決定トーナメントに出場が決まり、出場メンバーの発表記者会見に出席しました。この会見では出場選手がキャッチコピーと共に名前を呼ばれ、会見場に入場するというスタイルでした。私が入場口で待機していると一人一人選手たちが会見場へと呼びこまれていきます。

スピードマスター、山本真弘!
戦うビッグダディ、闘士!
石の拳、レオナ・ペタス!
褐色のバッドボーイ、大沢文也!

自分はどんなキャッチコピーがついているんだろうと思って扉の前で待機していると、まさかの…

逆境ソルジャー、明戸仁志!!

「K-1という晴れ舞台なのに、ここでもソルジャー!?!?」そう思って思わず笑ってしまったのですが、スタッフのみなさんにはそんなことは関係ありません。有無を言わさず扉を開けられ「明戸選手、お願いします」と会見場へ放り込まれました。

入場して最初の数秒間、私は半笑いだったのですが、そこにはそんな理由があったのです。

会見後、K-1の担当者に確認したところ、7年前に私がソルジャー明戸として試合をしていたことを覚えてくれていたようで、そこから「逆境ソルジャー」に決まったようです。

リングネームには不思議な力があると仙台ドラゴンジムの会長が言っていましたが、その意味を何となく分かったような分からないような…これが私がソルジャーと呼ばれるようになった経緯でございます。

次にK-1 GYM EBISUのチーム名についてですが……私のソルジャー話が長くなってしまったので、次回のコラムで書かせていただきたいと思います(笑)。

 

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